ひろしまドッグパークの悲劇を知っているか
2006-09-29


大規模な保護活動が進行していることをしった。
不潔な犬舎に閉じ込められ、食事も満足に与えられずに、
餓死寸前になっているという。
いくつかの保護団体が、その惨状を知りレスキューに入ろうとしたが、
現行法の問題、行政の事なかれ主義などの障壁を前に、
犬の所有者・行政との間で駆け引きを行い、漸く全貌を見せつつある。

↓保護活動の中心アーク・エンジェルのサイト
[URL]
↓現地スタッフのブログ
[URL]

この犬たちの遺棄が行われたのは、
犬とのふれあいを謳い、地元でも期待されていたらしい、
テーマパークの成れの果てということだ。

500頭を越す犬の生命の危機にあったという。
すでに事切れているものも多数いたという。
これらの犬たちの保護活動への援助に、
多くの生き物を愛する人たちが連帯し立ち上がっている。
その善意のパワーには脱帽するし、敬服する。
僕だって支援物のひとつでも送りたい。そう思う。
不幸な犬を救いたい。それは純粋で尊い行為と思う。

だが、ちょっと考え込む。
この大規模なレスキューがなされている陰に隠れて、
行政・パーク設立者(運営主体)の責任をうやむやにしてはいけない。
もともと経済活動の一環として、テーマパークが設立されたのだ。

琵琶湖わんわん王国をはじめ、
多くの大規模テーマパークが開園されたときから、
このような試みがうまくいくのかという危惧を感じていた。
鳴り物入りで巨大なテーマパーク運営をできるほどの魅力が、
犬だけで作り出せるのかと疑っていたのだ。
開園したはよいが、にっちもさっちも行かなくなる所も出ると思っていた。
しかし、このひろしまの惨劇までは予想できなかった。

郊外の大きな敷地に、珍しい犬種を多数集め、
子犬の販売やグッズ販売で収益を上げようとしても、
そんなもので企業収益が上がるとおもえなかった。
いくらペットブームを当て込んだとはいえ、
よほど多角的に業務を洗い出し運営しないと、
せいぜい生きている犬を身近で見て、飼う犬を決めるのに行ったとしても、一度行けば終わりになりやすい。
ただ犬がいて、触れ合えるだけで、リピーターが生まれるとは思えない。
次から次へと新しいアトラクションを生み続けなければ、
すぐに飽きられてしまうのは目に見えている。
それには経費がかかり、収益は薄くなる。

計画自体は私企業が行うものなのだとしても、生物を扱う施設なのである。糞尿の処理をはじめ衛生面での指導は
設立を認可した行政にも、監督の義務があるのではないか。
設立を認可した以上、ある種の便宜を図りもしているはずである。

生き物を扱う商業施設が閉鎖されたというのに、
たいして検査をしていたように見受けられない。
動物飼育に関する法律が改正されたのに、
閉園後に立ち入り指導した節も見当たらない。
テーマパークの設立に関しては地元の経済効果を多大に期待するなど、
甘い幻想を持ったのだろう。
地元の有力者も一枚噛んでいたりもするのだろう。
だから閉園後の惨状を半ば知りながら放置していたとさえ思われる。
(地元テレビの取材は下記のようにまとめられているので思い過ごしか? )
[URL]

保護活動を行う人たちが聞いたら烈火のごとく叱るだろうが、
責任を全うするなら、閉園した時点で設立者自らの手で、
犬たちを処分すべきだったのだろうと思う。
その行為に薬殺を含む言語道断なものが含まれたとしても、
みすみす衰弱死に導く結果より、まだしも責任の取り方としては潔い。
人々から罵声を浴び、恥ずべきエゴイストと糾弾されるべきだと、

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[愛護・愛護・保護ってなんだ]

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