もしもの時を考えた。これからの犬との暮らし。
2021-03-23


あと二月で64歳になってしまう。
平均寿命まで生きるとしてあと16年。
残すは1/5になった。

大酒くらいで50歳くらいで死んでもおかしくないと思っていたから、
実に長く生きているなと感心する。
37歳で突発性難聴から右耳失聴、だんだんと左の聴力も落ちてきた。
42歳で拡張型心筋症の診断を受け、ずっと経過観察。
不整脈は時々自分で分かるくらいのレベル。
ペースメーカーを入れずに済んでいるから、
普段の生活でコントロールはかろうじてできているらしい。
糖尿病は指標が一時危険水域を越してしまったけれど、
今は幾種類の薬の効果もあり、正常域を何とかキープしている。
今の生活を守っていたら、あと10年は何とか過ごせそう。

犬がいる暮らしは、物心ついたときには始まっていて、
ごく短期間の不在はあれど、ずっと続いている。
家出中は、犬がいないと言えたが、
しょっちゅう構いに行っていたから完全に切れていたわけではなく、
なんと60年は犬と一緒が当たり前だった。

「ごお」以降は僕がパートナーとして迎え続けている。
雨にも、風にも、寒さ・暑さにも負けず、
どれほど酔っぱらい足元がおぼつかない時も、
風邪をひいて高熱で目が回っているようなときでも、
短くても散歩をさぼることもなく続けてきた。
自分の不調は捨ておいても、犬たちの不調に気づけば即獣医。
自分の身だしなみには無頓着でも、犬たちは美しく。
自身にあきれてしまう。犬と暮らす人の日常ってそんなものだろう。
「ごお」以降の暮らしは犬が中心にいる。人との関係も犬がいてこそ。
犬がいなけりゃ人と共通の話題がない。
それも「まこら」を最後にしなければならないと思っている。
孤独耐性は強いと自認すれど、何年も続くなら孤独でいられるか。
おそらく耐えられるはずがなかろう。そう思う。
たどる未来を思えば気が滅入る。

「まこら」は現在3歳半。病気さえしなければあと10年以上は生きる。
だいたいその時で75歳。もう大型犬と付き合える年齢ではない。
今新たな子犬を迎えれば79歳で健康で活力を保つ老人でなければならない。
どう贔屓目に考えたって、僕がそれほど長く健康でいられる自信がわかない。

80歳まで生きるなら、5年は犬不在の生活が待っている。
小型犬なら何とかなるやんか。そう言われることもある。
撫でただけで死んでしまいそうな小型犬と暮らすのは怖い。
より長命だから、今から飼えば、どちらが先にくたばるか。
犬を残して先に死ぬのは愛犬家として恥。
それに小型犬だから介護が楽なんて思えない。
体重は軽いものの、世話の大変さに差などあろうか。

犬だって年齢を重ねれば重ねるほど介護する内容が高度になる。
老人が老犬の介護をするのは、相当な困難を伴うだろう。
たとえ小型犬であっても、自身が高齢になれば世話しきれないかも。
車にも乗れなくなってるだろうし、
経済的には困窮することになっていそう。
どう考えたって75歳の僕は犬との生活はあきらめるほかない。

犬のいない時間を過ごす。考えただけで気が滅入る。

無理して犬を迎えれば、先に死んでしまう可能性がある。
いや、「まこら」の寿命まで生きていられるかさえ確証がない。
何の対策も講じず犬を残して先に逝くのは、犬が好きなら恥だと思う。

先に死んでしまった時の「まこら」の生きる手配も考えておかなければ。

生きているって、いろいろ考えておかないといけないことが多すぎる。
[犬]
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