ジョンと暮らした1年半
2007-09-11


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ジョンがいない毎日は、ちょっとさびしい。
ちょっとですんでいるのは、
『そらん』があの日から超甘えた犬になっているから。
『ごお』が逝ってしまったときも、翌日からべったり犬になったものだけれど、
今回ジョンが逝ってしまった次の日から、べったり犬になっている。
なんとなくさびしい気持ちや悲しい気持ちが緩やかになっているのです。

ジョンが来てからの記事を読み返してみて、
ジョンが最初から懐いてくれていて、何の苦労もしていないと思っていたのが、
実は記憶違いなんだと気づいた。

ジョンも『そらん』も僕も、そして母も、
関係を作るのにはそれなりの時間が必要だったと気づく。
その時間は、振り返ると楽しい時間だったと感じるのだ。

先だっての土曜日、『そらん』をドギーズパークに連れて行った。
ジョンが死んでしまったことを知らない人たちも多くて、
久しぶりに会った人から、ジョンのことを聞かされた。

初めてドギパに連れて行ったときの印象が、
回を重ねるごとに変わっていき、
元気に走り回るようにもなり、顔つきも変わっていき、
きっと幸せに思っていたに違いないといっていただいた。

そうであれば、そう見ていただけていたなら、
何よりジョンが僕の家で、『そらん』と一緒にいた日々が、
僕と一緒にいた日々が、楽しいと思っていてくれたのなら良い。

少しだけ、ジョンのことを回想しておこう。
僕がジョンのことをどう扱っていたのか、
僕には見えない何かが、もしかしたら僕が語ることで、
成犬を引き取って暮らすのも捨てたもんじゃないと思っていただけるのなら、
ジョンへの供養にもなるんじゃないかと思う。

2月18日がジョンが我が家にやってきた日だった。
家の近所まで来た一行を出迎えに行った僕は、
ジョンを見て、ちょっとだけ驚いた。
写真で見ていたよりも、ずっと老いているように感じたのだ。
それでも、引き取り手として手を上げたのだから、
ジョンを好きにならねばならないと気負いもした。
伊勢全の飼主と落ち合った場所から家までの道を、
ジョンの引き綱を持って走った。
ジョンは、初めて出会った僕なのに、一緒に家まで走った。
家に着くと、元の飼主とジョンと『そらん』の初顔合わせに立ち会った。
ジョンを見て『そらん』は狂喜乱舞していた。
『ごお』の死後、一人きりがさびしかった『そらん』にとって、
ジョンは歓迎するべきものと認めていたようだ。
だけど、ジョンは『そらん』の歓迎の熱烈さに戸惑いを感じていた。
犬同士のことは犬に任せ、
ジョンについて1時間ほど、これまでの生活などを含め、
これから一緒に暮らす上での注意点を、元の飼主から伺った。
あまり他の犬と付き合った経験がなかったこと、
水遊びは好きだということ、病気はしたことがないなど、
これまでのジョンのことをたくさん聞いた。

やがてジョンのことを話し終えると、以前の飼主が去ることとなった。
このときばかりは、ジョンがさびしげな表情を見せ、小さく鼻を鳴らしていた。
ジョンは元の飼主と共に、家族の元に返りたいと思ったのかもしれない。
走り去る車を見るジョンの目はさびしそうに感じた。

狂喜乱舞する「そらん」とは違い、飼主が去ったジョンはショックを受けていたのか、。
『そらん』の狂喜を受け止めきれずに、
バリケンの中だけを安らぎの場として逃げ込んだ。
「そらん」はバリケンの前に伏せの姿勢で陣取り、
狂おしく啼いた。キャンギャンキューン。
だけれど、ジョンはただただ引きこもっていた。
[URL]

これがジョンがやってきた火の始まりだ。
この日から、きっちり3日間、ジョンは『そらん』との接触を拒み、

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